特別養子縁組の養育期間が半年あるのは合理的
特別養子縁組の成立には、家庭裁判所からの審判が必要です。その審判による決定をもらうためには、必要書類を揃えて家庭裁判所に申立てるのですが、それまでに試験養育期間として、里子になる子と一緒に生活をして監護した状況を考慮するという仕組みになっています。その養育期間は6か月以上と定められています。
試し行動と赤ちゃん返りを経験させる期間
ご経験者の皆さんからの話によれば、試し行動と赤ちゃん返りは必ずあると言います。家庭での養育が始まれば、その数日~数週間後に試し行動が始まります。子どもの生存本能として親となる者が信用に足る存在であるのか、わざと相手を怒らせるような行動をして困らせて、自分をどこまで受け入れてくれるのかを、全力で確かめようとします。その子によりますが、家の物をたたいたり壊す、ぶちまける、家中を汚す、水浸しにする、過食、偏食をする、嘘をつくなど様々です。赤ちゃん返りでは、オムツに戻ったり、おしゃぶりを欲しがったり、片時も養母から離れようとしなかったりです。買い物にも6歳未満の子を抱っこして行くしかありません。ベビーカーに乗せようとすると泣き叫ぶからです。5歳児の平均体重は約17kgです。肉体的にも精神的にも疲労し疲弊します。辛いのは終わりが見えないことです。その子によって数週間だったり、長ければ3年以上続くということもあるようです。TVドラマ「はじめまして、愛しています」でも、その壮絶さは第3話と第4話で描かれています。そのなかで、「もう辞めよう、諦めよう」という言葉が出たり、実際に児童養護施設に戻す判断をする場面があります。
特別養子縁組を申立てる条件である6か月間は、子との相性を見ることも重要ですが、この壮絶な経験を乗り越えて養育できるか、その覚悟を計り決断を促す意味を持たせているのだと思いました。
専業主婦でなければならない理由
民間の斡旋団体の多くで、特別養子縁組となる条件に専業主婦であることを定めています。児童相談所ではやや緩やかですが、それでも養育開始から6か月は基本的に保育園に預けることができません。里親制度が出来た時代は、母は家事に専念するものという考えが社会で一般的でしたが、現在は共働き家庭が増えています。国も女性の活躍の場を増やす政策を打ち出し、国民の認識も変わりました。そんな時代においても特別養子縁組をするために養母は専業主婦であることが条件なのは、時代錯誤ではないかと思っていました。実親の家庭では当たり前に共働き家庭があるからです。
しかし、この理由は、特に養子に顕著にみられる試し行動と赤ちゃん返りにあると理解できました。斡旋団体や児童相談所は、実母との間で失われていた「愛着」を養親との間で形成させるには、24時間の養育監護ができる状態が必要であると言います。それが実現できるのは専業主婦であるということです。それも理由の一つだとは思いますが、現実的には、試し行動と赤ちゃん返りが、どの子も通過する過程なのだとしたなら、物理的に日中に働きながら養育監護するのは不可能になることにあると思います。その期間は保育園に預けられないのなら、養母の母(祖母)に面倒を見てもらおうとしても、その壮絶な試し行動は当事者でなければ到底許容できないでしょう。そもそも愛着形成をすべき相手が違うので、意味がありません。
赤ちゃん返りをしたなら片時も離れないために、仕事に行くことができません。よって、仕事を持っていても、6カ月程度が休職できる環境にあるのかは、養育開始前に確認する大きな要因となるのです。
制度には相応の理由がある
特別養子は専業主婦でなければ成立しないことで、断念した里親が多くいます。共働き家庭では現実的に不可能なことであれば、制度や条件として決めていくことは合理的で必要なのだと思います。もし縁組を先行させる制度であったなら、試し行動や赤ちゃん返りで挫折しても後戻りできず、結果として適切に養育されない状況となることが容易に想定できます。特別養子縁組は離縁できないからです。壮絶な試し行動や赤ちゃん返りに耐えられない状況になった場合、実際に申立てをするまでに断念する機会が与えられていることは、子にとってはもちろん、養母にとっても救いになるのかもしれません。特別養子縁組を目指すまでは円満だった夫婦が、養育がはじまったことで夫婦間の考えや価値観の違いなどが露呈し、離婚に至った例もあるようです。離婚するくらいなら、養子を諦めるという判断も支持されるべきです。実際、特別養子縁組の申立てが不成立となる要因は、その大半が実親の不同意等によると思われますが、申立者である養親に原因があって申立てを自ら取下げ、もしくは不許可となる事例も、一定程度あるのだと思います。
愛着の形成が出来ていない子を迎えるということは、並大抵ではない相応の覚悟が必要であることを、あらためて感じました。制度の趣旨が理解できていなかったことは、認識に甘い部分があったのだと痛感しています。
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