特別養子縁組の成立は「本当の親ではない」という客観的事実を確定させてしまう覚悟を
私が里親研修や施設での実習を通して感じたことの一つとして、家庭だから施設よりも良い環境と言えるのか、言い切れるのかを自問自答しました。私が訪れた施設での環境は、私の想像以上に整っていました。学校から帰れば塾で学び、公立ではなく私立高校及び大学に通って部活のほか、バイトをする子が多くいました。最新のTVゲームを持っている子もいれば、趣味の小動物を飼っている子もいます。週末にはカラオケやハイキング、釣りやバーベキュー、キャンプにも出掛けます。希望者で旅行にも行きます。また、企業からの支援により、プロ野球やJリーグの観戦、演芸や演劇、映画の鑑賞に招かれたりしています。食事は栄養士によるバランスの取れた食事が提供され、お弁当も作ってもらい、寄付による差し入れのお菓子やデザートもよく出されるようです。そして施設内は4~6名程度のユニットで構成され、さながら大きな家です。かつての大部屋の雑多な印象は、まるでありません。職員もユニット毎に配置され、信頼関係の構築に努められていることで、子どもたちには強がった発言や行動は見られるものの、内面では心の通じ合った家族のような関係にみえます。
里親だから、家庭だからと言って、施設以上の生活環境が提供できるのか、それは必ずしも言い切れないのではないでしょうか。養親となる者の考え方によりますが、一般的によくある家族像を是とする家庭ばかりではありません。朝食を取らない家があるかもしれません。全く外出をしない家もあるかもしれません。食事のほとんどを、スーパーの惣菜で済ませる家もあるかもしれません。会話も意思疎通も図らない家もあるかもしれません。これは外部から見れば望ましくないのは明らかですが、委託の措置が決まれば、里子はその生活スタイルの里親家庭に入るほかなく、もはや従うしかありません。
生きて行くために、養親の顔色を見ながら、機嫌を取りながらの生活になるかもしれません。どの家庭が良いか、子の立場から選ぶことはできないからです。拒否したり不満を申し出れば、その家庭から去ることはできるでしょう。しかし、そのことで心に傷が残るかもしれません。人と人の関係なので、必ずしも上手く行くとは限りませんが、里親である以上、使命を自覚して役割を果たす努力をするべきです。その努力と気持ちは伝わると思います。信頼関係を築くうえで、子の気持ちまで考えながら生活環境を整えて、子との信頼関係を構築するべきで、それが私たち養親としての責任だと思います。
これが特別養子縁組なら、なおこれからさらです。縁組が成立すれば、もう後戻りはできません。縁組の解消(離縁)は原則できないからです。だから考えるのです。特別養子縁組が成立すれば、実の親から立場を未来永劫において奪うことになる。これはつまり、客観的に見れば、「実の親ではない」関係を確定させてしまうことを意味します。
施設にいれば、「あんた、施設で生活してるんでしょ?」と言われることはあっても、「あんた、実の子じゃないんでしょ?」と言われる状況はあり得ません。しかし施設を退所し、養親の元で育てるということは、その子が「実の親ではない」と言われる状況を作り出すことになります。特別養子縁組をすれば、その状況が確定します。子は、実の親ではないと言われることについて、望んだわけではありません。しかし、その環境に置かれてしまうことになるのです。
いじめが起こる要因として、人は、特に子どもは周りと違う点を見つけては対象を阻害し、攻撃しようとします。里子だからという理由だけで、いじめを誘発するとは言いたくありませんが、そのきっかけになることは否定できないと思います。未だに社会では差別の対象になるかもしれません。だからこそ、その要因を作るかもしれないことに、親になる者としての自覚と責任を持つ必要があります。家庭という環境の中で愛情に溢れ、揺るぎない関係性と安心感を育むために、常に全力で取り組む必要があると思います。施設と家庭に差が生れるとすれば、この点の優位性だと思います。
施設ではなく家庭で育てることの意義があればこそ、里親制度はより促進されるべきですし、子にとって、家庭だからこそより良い生育環境が提供できると信じています。私がこれから迎える子のために自戒の意味を込めて、そう思います。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません